2009年8月26日水曜日

スサノオはスーサの王か?

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:3頁

 多くの会員諸先生から共通の御質問を頂いたので、

 まずそれからお答え申し上げることにする。

 それはスサノオの尊は、

 現在はイランにあるスーサの王で間違いないのか?。

 スサとスーサはなぜ同じだと言えるのか?という御質問である。

 これは現講では他にも同じく発音に長短のある名詞が続出するし、

 これまでまだ世界の誰もが論じたことのない問題でもあるので、

 私が過去に検討して得た結果を、

 手短かにお話ししてご返事に代える。

 短い発音   長い発音    傍証使用例      短音使用国

 スサ      スーサ     須佐之男        日本

 ニネべ     ニネーべ    ニネべ         ギリシャ

 ニップル    ニップール   ニッポン        日本

 バベル     バビローン   バビロニヤ       ギリシャ

 スメル     シュメール   須弥山         中国
 スメル             スメラギ        日本

 ウル               漆間          日本

 ラガシ     ラガシュ    バベル文書      バベル

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

我が国の真の建国はいつ?だったか?

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:30頁

 太陽は天の中心に居て四方を照らす天照大(オ)神で、

 それに仕えるのが大女(ミ)神=女王。

 これが初期のウバイド信仰だったと解る。

 この村落の中心に神殿を置く思想は世界に広く広まった。

 キリスト教会もその伝統の後継者である。

 しかし経済発展と戦争と移住と開発とがその原則を崩して行き、

 教団は虚栄に傾いて本質を失い、その痕跡しか認められない。

 それは我が国も同じだが神殿数と普及率は世界第一である。

 これはキリスト教やイスラム教徒たちが

 勢力誇示のため大教会=大神殿を建て続けたためだが、

 我が国はそんな愚行に陥ることなく

 質素な神殿を村落に建てて伝統を守ってきた。

 これが倭人=ウバイドの本流が我が国である所以であり、

 それとともにスメラギやスべル=統べる、

 といった言葉も伝え続けてきたのである。

 こう見てくると、

 その本流を狂わせたのが、

 ソナカやウッタラの仏教宣布団だった。

 卑弥呼・壹與時代はその大変動期だったのである。

 相次ぐ倭国動乱が応神皇朝を生み、

 倭の五王の東征(神武東征譚の主体)によって、

 近畿までを版図に納めたのであって、

 今の天皇家の大和朝廷を『建国』とするなら、

 それは在来の通説よりも5世紀遅くなる。

 だが史実であるウッタラたちの大和朝廷なら、

 銅鐸発生期に遡り、

 殷商帝国を建国した時期を考えれば、3000数百年前、

 ウバイドなら8000年前に

 建国したという真実があるのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月25日火曜日

邪馬壹政権誕生とその位置の記録

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:29頁

 私が手にした『潮干るの珠、潮満つの珠』は、

 「海幸・山幸J の主題宝器である。

 これは神話学者が神功皇后とは無関係な『神話』だとしてしまっていたが、

 その遺物の保管者である鹿児島神宮は、

 それを神功皇后の遺品として伝統していたのである。

 そして事件はまさに海から来た皇后軍が、

 山=姫木山に立て龍もった卑弥呼政権軍を負かして、壹與政権を樹立した。

 海幸が山幸=隼人を負かしたのである。

 これは『大隅正八幡縁起』にはオオヒルメが

 幼児八幡を連れて船で

 八幡崎(崎は漢音「キ」で沖縄音「チ」=ハマンチ)に着いたとある。

 これが品陀真若王で、その娘婿が応神天皇である。

 だからその皇居は

 軽の明の宮=鹿児(ル)の阿鹿児の宮=鹿児(ゴ)之国=鹿児島(神宮)なのである。

 倭の五王の応神王朝はここから出発し、

 東55 、西66 、海北95 の国々 を従えた後、

 倭王・武が 高市に入って、

 初めて大和朝廷が生まれた。

 在来の神武東征誤信に犯された大和説は、もう跡形も残らない。

 これでヤマタイ所在論争は終わるが、

 実際はこれでもまだ全てではないことを申し添えておいて、

 こうした発見が、

 さらに、

 これまで不明のままだった世界史の最古の謎に、

 決定的な答を出していることを結びとしておこう。

 それはウバイドの村落遺跡に常に存在した中央神殿の信仰の内容である。

 それはお気付きの通り、

 日=太陽を祭るものだったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月24日月曜日

『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:28頁

 鹿児島神宮が鎮座する字の名は「内(うち)」だから、

 ウチナ=沖縄からきた遷都を物語っている。

 大御神=卑弥呼を祭る伊勢神宮のある宇治山田の宇治は、

 このウチに対する当て字でウチと発音しなければいけない。

 これも卑引呼が鹿児島神宮の鎮座地と姫木山にいた証拠である。

 では壹與は卑弥呼の死後、女王になって何処に都を置いたのか?

 これがヤマタイ論争の究極の主題

 『女王の所都=邪馬壹国の所在』 なのである。

 『三国史記』にある壹與の「新羅本紀」の名乗りは赫居世だが、

 この居世は、重箱読みされたイセに対する当て字の一つであり、

 居西干=イセカンと号したとあるから

 「伊勢神=伊勢の大神」が彼女の名乗りで、

 卑弥呼の次の天照大神になったことが判る。

 そして彼女は徐那伐=ヨナバルを国号にしていたという記事があるから、

 沖縄の与那原で即位している。

 沖縄人だから、やはりウチナで、

 鹿児島神宮も伊勢神宮もどちらも彼女を祭っている。

 鹿児島神宮には彼女が神功皇后として鹿児島にやってきたときの遺物である

 「潮干るの珠、潮満つの珠」が神宝の中にあり、

 私は戦後すぐそれを計測し、写真に撮らせて頂いた。

 だから、

 壹與は間違いなく政変後は鹿児島神宮が鎮座する「内(うち)」に居た。

 張政が書いた『女王の所都=邪馬壹国』の中心=皇居は、

 時間帯からみて、ここ以外にはあり得ないのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月23日日曜日

ウバイドから生れた国名が語る遷都史

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:27頁

 この「日=ヒ」はヒンドという国名に気付かせる。

 これは私達の先祖の言語なのだから、

 「ヒンド=日の土地」で、

 日の国よりも大きな地域名になる。

 これもヒ=シ、ヒ=イという日本語の方言と同じ変化をもち、

 シンドウ、インドという亜大陸名になっているのを見る。

 またさらに、これは我が国でポセイドンを百済と出水or 出雲に二分割して、

 国名・地名を造ったように、ウバイドを二分してウバ=ウワ=上・倭に、

 イドは「イ土=イの土=インド」としたものを、

 前半を倭国、後半をインドや殷として使ったものと見て間違いない。

 これはウバイドからの移動コースが、

 インドを通ってインに着いたこと、

 それらの国は倭が上位で、

 倭人=ウバイドの移動と発展にっれて次第に分かれたことが、

 その名から読みとれる。

 すると沖縄地区がウル国(マ)と高の国=狗奴(クの)国に別れていたことは、

 復元すれば「ウルク」が語源だから、

 沖縄へきたカルデア人はウルク出身だったという詳細まで判る。

 さらに殷もまた「イン=ヒン=日の」国だったことに気付かせてくれる。

 太陽は神そのものであり、

 その分身は火だから、

 『令亀の法』によって亀の甲羅を焼くのも、

 その神の知恵で幸運に導いてくれると信じていたのである。

 これは我が国では日も火もどちらも「ヒ」と呼んで

 区別しないのと全く同じ意識状態の、

 太陽崇敬文化が根底にあったからである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
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 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月22日土曜日

官名の「ヒ」はウバイドの太陽崇拝から

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:26頁

 それなら「東の長官」も居なければならない。

 すると卑弥呼はヒムカで日向ではないか?という仮説に思い至る。

 卑弥呼はカールグレンに拠れば「ピーミヤルグァ=日見やる子」である。

 さらに卑弥弓呼素という狗奴国王の名乗りもある。

 これはヒミカンゴソと読むと日向の御祖か日見神御祖であり、

 これを沖縄語と見て鹿児島語になおすとヒミカンはヒメカンで姫神になる。

 このうちどれが正しいのか?

 同じ「卑」のつく官名に「卑奴母離」がある。

 この母は漢魏音では「ボ」だからヒノボリ=日昇りとしか読めない。

 だからこれは日が昇るのを見張る役(計時官)か、

 日の出から任務につく官を意味する。

 これは日見子の代官として必須の役目である。

 するとそれより上位の長官の「卑狗」の卑も日であって、

 ピクはヒコ=日子の沖縄訛りで、

 シュメル(スメル)語の測量単位名=測量権保有者=領主の代名詞だった

 「ピク」と複合したことになる。

 こう理解できると『隋書』に書かれた

 倭王が天を兄、日を弟とし、

 日の出に執務をやめて「あとは弟(日)に委せよう」と言った真意もよく解る。

 国の運命は太陽に任せるしかないというのである。


 これはウバイドの水耕農業発明以降の、海運、漁業。スサの植林。

 カリエンの貝貨産業といった経済基盤が、

 全て太陽に依存しているからであり、

 それは殷と日立の関係も、

 日の国の名も、

 卑弥呼以下の日のつく名も

 全てを説明し尽くす。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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2009年8月21日金曜日

伊都の長官「爾支」の真意は?

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:25頁

 すると伊都を管轄していた長官の「爾支」とは、

 「三国史記」 の「新羅本紀」の尊称である尼師今(ニシキン)で、

 それは「主君・ヌシキミ」の訛りで、

 「主」をアルジと読むのも、

 「爾支」の中国読みの「アルヂ」だと、

 すでに判っているのだから、

 爾支は尼師で「主」である。

 新羅本紀は、

 13 歳で即位した赫居世(カグイヨ=鹿児・壹與=壹與=神功皇后2 ) から始まり、

 そのときの新羅は開聞であり白日の国だから、

 薩摩と福岡であるし、

 朝鮮半島は北の高句麗から南の帯方、三韓まで

 位宮と卑弥呼=神功皇后1 の支配下にあったのだから、

 この名ももちろん倭人語=日本語である。

 すると「ニシ」は「西」でもある。

 沖縄語では西は「イリ」だから「入・伊理」とも書く。

 『記・紀』の崇神天皇と垂仁天皇との皇子女名についている、

 これらの「イリ」はこの爾支と尼師今と同じものなのである。

 ではそれは「入王朝」と呼ぶような異質の外来政権だったのであろうか?

 この長官名は伊都国のものだが、そこは直後に不弥に変わった。

 不弥と一対になる国は不呼国で、これは日向でもあった。

 そこは文字通り日に向かい、それを古体でフリ仮名すると「ヒムカヒ」で、

 語尾のヒをシと訛ったものが「ヒムカシ=東」である。

 すると「爾支=西」と完全な対語になっている。

 これが東西の国を区分する名詞なら、

 爾支は西の長官という官名でもある。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月20日木曜日

伊都国官名が説明、立証する大量の史実

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:24頁

 また『倭名類聚鈔』の豊前の中に「下毛」という郡がある。

 これは「シモ豆(ツ)美介」と読む。

 伊都国の副官は「泄謀觚柄渠觚」。

 シモ=泄謀=下、觚=ツノ→ 豆の、柄=ビ=美、渠=ケ=介と

 余りにも良く一致する。

 梯儁が来たときは首都だった伊都国が、

 張政が来たときには、

 千戸しかなく、二万戸の大都市国家・不弥国が隣に生れていた。

 短期間に二万戸もの大家屋を移転したり建築したりすることは

 絶対に不可能だから、

 これは旧伊都国が不弥国になったのであり、

 この副官名も下毛の名乗りであって、何の不思議もなくなる。

 そればかりでなく、「毛」はギリシャ人を意味するから、

 上毛はその「お上=政府」を意味する首府で

 大建築が立ち並ぶ卑弥呼の宮廷のあったところだと判る。

 また、この当て字をしたのは、シモに泄謀、ツノに觚を当て字しているから

 倭人だと判る。

 すると柄渠は美介で、觚はコとするとビキョコになるが、少し発音が合わない。

 ケをキと発音するのは沖縄語だから、

 沖縄語ならビキョはビキュ、コはグァ、美介子=ビキュグァでまだ少し短い。

 日はフだから美介日子とするとビキフグァで、実際の発音はビキューグァになり、

 泄謀觚柄渠觚は、

 このシムチヌビキュフグァ=下地之美介日子に当てたとすれば欠点なく確定する。

 ちなみに沖縄にはシムチ=下地という姓が現存している。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
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2009年8月19日水曜日

不弥と不呼はワンセットで政変を立証

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:23頁

 私が手にした『潮干るの珠、潮満つの珠』は、

 「海幸・山幸J の主題宝器である。

 これは神話学者が神功皇后とは無関係な『神話』だとしてしまっていたが、

 その遺物の保管者である鹿児島神宮は、

 それを神功皇后の遺品として伝統していたのである。

 そして事件はまさに海から来た皇后軍が、

 山=姫木山に立て龍もった卑弥呼政権軍を負かして、壹與政権を樹立した。
 
 海幸が山幸=隼人を負かしたのである。

 これは『大隅正八幡縁起』にはオオヒルメが

 幼児八幡を連れて船で八幡崎(崎は漢音「キ」で沖縄音「チ」=ハマンチ)に着いたとある。

 これが品陀真若王で、その娘婿が応神天皇である。

 だからその皇居は

 軽の明の宮=鹿児(ル)の阿鹿児の宮=鹿児(ゴ)之国=鹿児島(神宮)なのである。

 倭の五王の応神王朝はここから出発し、

 東55 、西66 、海北95 の国々 を従えた後、

 倭王・武が 高市に入って、

 初めて大和朝廷が生まれた。

 在来の神武東征誤信に犯された大和説は、もう跡形も残らない。

 これでヤマタイ所在論争は終わるが、

 実際はこれでもまだ全てではないことを申し添えておいて、

 こうした発見が、

 さらに、

 これまで不明のままだった世界史の最古の謎に、

 決定的な答を出していることを結びとしておこう。

 それはウバイドの村落遺跡に常に存在した中央神殿の信仰の内容である。

 それはお気付きの通り、

 日=太陽を祭るものだったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月18日火曜日

南九州に集中する「旁国」地名リスト

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:22頁

 原文  訓読  該当地名

 斯馬国・シママ・島間(南種子)

 已百支・イホキ.葦北(熊本県)

 伊邪国・イザッ・伊作(鹿児島)

 都支国・トシマ・十島(鹿児島)

 弥奴国・ミナマッ・水俣(熊本県)

 好古都国・カゴッマ・鹿児島(鹿児島)

 不呼国・ピュウガ・日向(宮崎県)

 姐奴国・チッノ・月野(鹿児島)

 担奴国・タンニャマ・谷山(鹿児島)

 対蘇国・ツサ・帖佐(鹿児島)

 蘇奴国・ソノ’襲の国(鹿児島)

 呼邑国・コユグニ・児湯郡(宮崎県)

 華奴蘇奴・カノソノ.鹿屋(鹿児島)

 鬼国・クヒラ・串良(鹿児島)
   ・ クヒマ・串間(宮崎県)

 鬼奴国・クイノ・栗野(鹿児島)

 邪馬国・ヤ・唐書の邪久↓

 狗奴国 ク 久・屋久島(鹿児島)

 射臣国・カンジン・加治木(鹿児島)

 巴利国・ハイ都・隼人(鹿児島)
    ・ハリモッ・針持(鹿児島)

 為吾国・イムグァマ・今釜(鹿児島)

 支惟国・キイレ・喜入(鹿児島)

 烏奴国・オノマ・尾の間(屋久島)
    ・オノ・小野(鹿児島)

 奴国・ノマ・野間(種子島)
 
『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月17日月曜日

少ない奈良の「旁国」地名リスト

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:21頁

 それをよく立証するのが旁国の名である。

 それの一部は全国に広く分布した地名に合うが、

 大半は独特の地域にしかない固有名なので、

 ここで全国の地名と比較することは、

 もちろんオーバーワークだし、

 またその必要もないほど結果は明らかだから、

 大和説の主張する奈良と、

 私がいう九州南部とだけをここに挙げて、

 ご判断を頂くことにしよう。

 原文  訓読  該当地名

 斯馬国・シマノ・島野町(五條市)

 都支国・ツジノ・築地納(奈良市)
      ・ トオイチ・十市町(橿原市) 
      ・トオカイチ・十日市(西吉野)

 弥奴国・ミノ・箕山町(郡山市)
     ・ ミノワ・箕輪(山添村)

 不呼・ヒウク・日置(葛上郡)

 姐奴国・チャ・茶町(郡山市)

 巴利国・ハリ・針(都祁村)

 為吾国・タメガワ・為川(田原本)

 烏奴国・ウノ・宇野町(五條市)
     ・ オオノ・大野町(五條市)・オオノ・大野(室生村)

 狗奴国・クノドウ・公納堂(奈良市)
     ・クシラ・櫛羅(御所市)

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月16日日曜日

令亀・灼骨ともにシュメル(スメル)文化の分布

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:20頁

 この「令亀の怯」とは、中国では殷商帝国で行われ始めた習慣で、

 亀の甲羅に複数の答を彫って、 火で焼くと乾操してヒビ割れが走る。

 それが指した答が神の教えだとする法である。

 複雑な疑問を単純化するこのシステムが、

 殷と倭人の双方にあるのは、

 肩甲骨を使う人々は獣が主食の草原の畜産者が

 日常的に獣を焼くことから自然に発生した占いで、

 スメル人ではあるが傍系。

 だが亀の甲の方は水利に長けた本系ウバイドの慣習が貴ばれたものである。

 だから令亀の法は倭人の方が古く、

 霞ケ浦で栄えた稲敷人が農業とともに、

 こちらから殷に持って行ったことが判る。

 これらは倭人は三千年以上前には、

 少なくとも関東の稲敷にまで住んでいた証拠だから、

 奈良に女王の統治する国があっても不思議ではない。

 しかし九州から関東までなら、

 漢との通交国数が百カ国しかないのは余りにも少な過ぎる。

 この国のサイズは、帯方郡から伊都までの国々 が、

 一大や末盧などの千戸単位の村落国家まで一国と数えているのをみれば判る通り、

 それは後世の播磨や大和などの、六十余州サイズの国ではない。

 また逆に見れば六十余州のうちの関東までなら今度は百カ国は多すぎるから、

 それが市町村サイズの国々 だったことは動かない。

 この百から三十に減った国の数もまた、

 卑弥呼と壹與の二代の女王国が、

 ともに九州内、

 とくに南九州にあった証拠である。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
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 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月15日土曜日

中国統一の礎を築いたのも我が国の同祖

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:19頁

 また倭人や馬韓や辰韓が入っている

 「東夷」も烏丸同様、地名や姓になっている。

 東井・藤井・藤居・筒井・遠井・稲井などがそれで、

 フジイやツツイ、イナイと読み方を変えたものも、

 これを見ると、本来は東夷に対する当て字だったことがわかる。

 居住地に「スク」 という宿名を残したチュクチ族は筑紫族。

 いま北シベリア最大の港湾都市に、そのまま「チクシ」の名を残している。

 筑紫は九州最大の古代先進国で、

 継体天皇に破れた磐井も祝氏=シュクシ=チクシで赤の他人ではない。

 今なお地名、姓とも健在であるが、

 天智天皇が阿部比羅夫当時、征伐した記事が『書紀』にあるから、

 そのとき北方への大移動があったのである。

 そんな事件は別にして。

 これらの姓をもつ方々をいま、日本人ではないと思う人はないように、

 神名になった人たちの国名も

 我が国から移動していった人々のもので血縁に変わりはない。

 みな我が国のクシャトリヤ=天皇=軍君であり、

 イサナキの尊たちだったのである。

 彼等は古くは股商帝国から建国して行き、中国を治めてきたのである。

 だからその血縁を証明する一章が、

 「倭人章」に特記されているのは見落とせない。

 「其俗 挙事行来 有所云為 灼骨而ト 以占吉凶」

 倭人は、何かを行う時には獣の骨を焼いて罅(ひび)割れの様子を見て吉凶を占う。

 これは「令亀の法のようだ」という記事である。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月14日金曜日

万世一系の真意と神名の謎解き

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:18頁

 岡や遠賀・丘のつく姓も多いが、小川も当て字の一つである。

 天皇の名乗りの中にある、大日本も、

 その所領をみると高句麗や、

 その母体の力ウリー= 高麗= 沖縄を意味している。

 その都の岡本の宮といった地名もまたそれを意味している。

 天皇の「神武とか孝霊」とかいう呼び名=諡号を考案した

 淡海の三船は、このことを頭に置いて暗示として諡号をつけている。

 だから同じく「コウ」と読める文字=神・孝・高は

 やはりその出身地・系列を教えてくれる。

 欠史天皇の中の孝昭・孝安・孝霊・孝元4代と同形の孝徳が、

 はるか後世の大化になってつけられているのも、

 その系列最後の天皇を意味し、

 さらに孤立した孤独なという意味で、

  「こどく」とも読める孝徳の文字を選んで宛てている。

 三船が教えるように天皇には系列がある。

 それは卑弥呼=天照大神の自殺や、

 天智天皇の出現にみるように、

 護国のための知恵であり国策であって、

 闇雲に血統、純血、順位を主張したのであれば、

 とっくの昔に我が国は滅亡してしまっていた。

 近年の皇室典範改正論議もこれを忘れてはならない。

 だから例え故郷を離れて年月が経っていようと、

 母国が亡国の危機に瀕したときは、馳せ帰って救国に当たる。

 これが継体天皇であり、

 天智天皇であり、

 天武天皇であり、

 神代の神名に入った英雄たちであり、

 『万世一系の天皇』の真意であり、

 ウバイドの大義なのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
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 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月13日木曜日

すべての宗教はウバイドに遡る

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:17頁

 大学院講義録39ですでにご存じの通り、

 歩き巫女はジプシーや、シベリアのシャーマンとも共通している。

 シャーマンは沙門というれっきとした仏僧の一種だったが、

 呪術師と化してしまった人々で、

 青森の恐山のイタコや沖縄のユタ類似のものであり、

 仏教と神道とがどういう関係にあるかを教えてくれるし、

 その根を辿ればオリエントの信仰に遡り、

 アレクサンドロスの母が奉じた宗教も、

 アブラハムが承け継いだバビロンの信仰も、

 アーリヤ人がインドに広めたバラモン教も、

 それから派生した仏教も、

 源流に遡れば一系になることに変わりはない。

 また途中で逸れてしまったが

  『記・紀』の神名にある鮮卑、東夷の首長の名は、

 もともと中国北辺の住民が、

 日本列島からの移住者だった、という事実の証拠になっている。

 烏孫と書くウースンが大隅のことで、

 宇迦之(ウカノ)山、宇迦之御魂と同名の烏丸(ウカン)は、

 『魏書』に「烏丸・鮮卑・東夷」とトップに挙げられている大国だが、

 我が国の明治以前の首都・京都の下京区四条には、

 烏丸の文字はそのまま使い、

 発音だけをカラスマと読み変えた地名が今なお残っている。

 このウカは「大日」如来から来ており、

 本土語のオカだから岡や遠賀のつく地名や姓の本体であり、

 大日如来は我が国ではビルシャナ仏(毘盧遮那仏=奈良の大仏も同じ)と呼ぶが、

 ミヤンマーもビルマ=毘盧国を国名にしているのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
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 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月12日水曜日

東西に残る巨大な象徴遺跡

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:16頁

 『卑弥呼と壹與の姫木山』

 児島県姶良郡隼人町(国分市)

 『アダナ山』

 古代イスケンデル(小アジア)

 現トルコ・アレクサンドリア

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月11日火曜日

天照岩戸隠れを史実と立証した『壹国』

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:15頁

 このように「市=壹」は、

 市場=マーケット=バザールだったのであり、

 都市を意味する日本語として定着して、

 邪馬壹国がそこに実在したことを、

 1700年後の今もなお延々と立証し続けている。

 その正八幡宮の背後には、姫木山が誉えている。

 姫の大隅発音はヒミ、木の古音はコで、ヒミコ山であり、

 卑弥呼の漢魏音はピーミーグワだから、

 ピーミーはその沖縄発音、グワは沖縄語の子、姫木山は姫子山だと判る。

 その山の姿は険しい岩山で、難攻不落の地形をしていて、

 卑弥呼が魏の侵略に備えて、

 そこへ遷都した心理状況がよく解る。

 ついでだが、

 その山形も、現在トルコにある古代アレクサンドリアの一つにある

 アダナ山とそっくりに整形されていて(『 黄金の女王・卑弥呼』参照)、

 スメル=須弥山を意味していたことがわかり、

 その文化と名詞群が、オリエントからの遷都を強力に保証している。

 姫木山には洞窟があり近隣には「岩屋」という地名もある。

 こう整理してくると卑弥呼が歴代の天照大神の中でも、

 スサノオと争い岩戸隠れした大御神に全てが合う。

 こう解れば、我が国の神話と呼ばれてきた『記録』は、

 『史実』だったと万人が承認する。

 これまで『記・紀』を幼稚な愚民を欺く嘘の塊りのように言い、

 天皇や神官を詐欺師扱いし、

 日本人を正史をもたない愚民と嘲って来た連中は、

 これでもう再起は不能なのだ。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
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 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月10日月曜日

現存する邪馬壹の名と遺跡と文化遺産

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:14頁

 だから仮に邪馬臺が正しければ、臺はダグかトで、

 八代から南陸行1カ月に在る「女王の所都」の跡には、

 ハマンダグかハマントという地名が遺っているはずだが、全然存在せず、

 ハマンチだけだから、

 そのチは臺ではなく「チ=市=壹」だったことが明確に把握できる。

 しかもこれは地名の発音だけでは終わらない。

 鹿児島神宮はもと正(しょう)八幡と呼ばれて全国の八幡社に君臨し、

 静御前などで有名な「歩き瓜女」を派遣し、

 八幡座という市(マーケット)を開き、

 その管理人として座頭(ざとう)を任命し、

 検校(けんぎょう)などの「位(くらい)」を与えた。

 これらがさらに楽市.楽座や、芝居、歌舞伎、曲芸、琵琶怯師、三味線(ゴッタン)弾き、

 祭文語りなどの宗教芸術や、舞踊や生け花などの家元制度を生んだのである。

 お節句の雛人形をイチマ、

 貴族女性の笠を市女(イチメ)笠と呼ぶのも全て、

 壹国(イチマ)の実在証明なのだ。

 卑弥呼の侍女千人は、

 こうした信仰と流通経済と娯楽に至るまでの、

 古代先進文化の教師=仏教宣布団の有髪(うはつ)の尼僧=優婆畏(ウバイ)であり、

 それは神功皇后と結婚した仲哀天皇が、

 アソカ王の派遺したソナカ仏教宣布団の継承者であり、

 皇后がウバイド以来の女王制統治者、

 優婆畏(ウバイ)王であり慈悲救世の観世音菩薩=鬼道の教皇だった。

 これはウバイド文明とその世界教化政策による統治と

 遷都の実態を目の辺りに見せる「本当の生きた歴史」だったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年8月9日日曜日

大和説を徹底否認する遷都記事と遺跡

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:13頁

 卑弥呼の遷都は、近親である高句麗王・位宮や、

 それまで保護者として畏敬してきた公孫氏が、

 次々に魏に侵略され国を奪われた惨劇を身近に感じた卑弥呼が、

 切迫する戦禍対策として打った対魏親善外交と表裏一体をなす、

 他に選択の余地のない非常行動だった。

 これは彼女の女王国が朝鮮半島と隣接していたためであって、

 はるか東方の奈良が都だったのなら、

 遠く離れた朝鮮で何が起こっていようと、

 七万戸=百数十万人もの人々を、

 はるばる水行10日、陸行1か月もの遠距離へ

 大変な苦労を重ねながら大移動させる必要はない。

 だから『倭人章』が書く彼女の遷都は、

 都が九州で、絶対に奈良ではないという証拠である。

 『倭人章』はその遷都を詳細に記録している。

 それは梯儁の拜仮が伊都時代を記録。

 張政の水行10日が八代を記録。

 陸行1 カ月が隼人・国分を記録。

 そこにウワイ=「倭」という国名への邦文の当て字「上井」が、

 今もなお地名として残っているのだ。

 さらに「女王の所都」と張政が書いた「邪馬壹国」の名もまたそこに残っている。

 邪馬壹は唐代以後は読み方がヤマイチと変わり、

 ヤに八、マに助詞のンが付けられて幡、イチも市の字が当てられて
 
八幡市(はまんち)という宗教商工都市として栄えた。

 そこには今もそのままハマンチ(浜之市)という地名が遺り、

 最古の八幡宮である元「大隅一之宮」=鹿児島神宮が遺っている。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月8日土曜日

都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:12頁

 これで張政が八代を女王国と報告した事実が確定した。

 その八代の南、陸行1 カ月の地に、

 卑弥呼の死後、邪馬壹国が誕生したことも確定した。

 だがこの問題はこれで終わりではない。

 梯儁が正始元年に倭国に詣り、

 女王卑弥呼に拜仮=面接して魏帝の詔書と贈り物を手渡している。

 彼はどこで卑弥呼と会ったのか?

 彼は郡使の一人だから伊都国に駐ってそれ以遠には行かない。

 だから伊都で会つたのである。

 梯儁は、正始元年には伊都が女王国だったと報告し記録したのである。

 卑弥呼が都していたのは、伊都であって奈良でないことが明確に書かれている。

 仮に卑弥呼の都が邪馬臺国という名だったなら、

 それを伊都国と書くことは絶対にないから、

 卑弥呼は絶対に邪馬基の女王ではない。

 大和説はこれでも成立しない。

 『女王の所都』

 また邪馬壹国は女王の所都だと書いてある。

 その都が何故?不明だと思ったのかがこれで判った。

 それは二人の郡使が書いた記録は真実だが、

 女王も所都も、あっという間に移動し、変り、改名してしまったのに、

 その別々 の記事を一人の筆者が書いた記事だと錯覚した連中が、

 筆者の異なる記事を分類することさえできずに、

 女王の所都はーか所だと思い込んで都は邪馬臺で大和で奈良だと主張した。

 この無知きわまる説が大和説なのだ。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
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 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月7日金曜日

箸墓の名の究極の意味と埴輪

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:11頁

 その築造の経緯も「三国史記」の記事で、

 百済・蓋鹵王すなわち仁徳天皇系の倭王・興=安康天皇が

 高句麗の間者・道琳の口車に乗せられて造り、

 国力を消耗して身を滅ぼした事情が詳細に判っている。

 このことはハシの語源の長谷・泊瀬は、

 蓋鹵王の所領「百済=ハッセイ⇒ハセ」で、

 その大隅訛りが「ハシ」であることを、

 さらに重ねて証言しているから

 それは前方後円という新型式の代名詞「百済墓」だったのが、

 一番有力な真意である。

 古墳には埴輪が置かれている。

 それを造り、古墳を造営した豪族が土師氏である。

 これらの名詞群はもとは同じものだと判るが、

 以上のどれ一つを取っても、

 箸墓は3 世紀の卑弥呼の墓ではありえない。

 『箸墓の埴輪』

 それを暖昧な伝承でなく、

 大量に残っていた遺物でさらに証明するのが埴輪である。

 箸墓は昭和50年代の始めに実施した陵墓補修で

 筒型をした埴輪が大量に発見された。

 この特殊土器埴輪は吉備で発生後、

 かなりの時を経て畿内に伝わったことが確認されでいる。

 ところが『日本書紀』垂仁28年と32年に、

 皇弟・倭彦命が亡くなったとき殉葬者たちの叫びが煩いため、

 土器で人型を作った殉死者の代用品=埴輪が発明されたとあり、

 卑弥呼のときにはまだ埴輪はない。

 しかも出土したのは人型埴輪でなく後世の特殊土器埴輪なのだ。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
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 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年8月6日木曜日

箸墓で大和説完敗、再燃は絶対にない

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:10頁

 私たちはすでに大和朝廷は、

 高市に入った倭王・武=雄略天皇以後の朝廷だと知っている。

 その都は泊瀬の朝倉の宮(紀)・長谷の朝倉の宮(記)。

 この天皇の名乗りは大泊瀬の幼武(紀)・大長谷の若建(記)。

 また武烈天皇は小泊瀬の幼鶺鴒(紀)・小長谷の若雀(記)。

 大はオオで倭と同じ、小もオで同じ、

 文字は区別のため変えてあるだけだから、

 どちらかのハセと考えていいし、

 またこのハセは百済への当て字なのだから、

 百済を名乗りにもつ人の墓と考えてもいいが、

 百襲はハソでハセとは読まないから、

 ハソバカでないといけないが、

 ハセなら沖縄大隅語で

 「ハシ」と発音するから「箸」と当て字する人もある。

 また古墳を造成し、

 管理した部族は土師氏だから、土師をハシと呼んだ可能性もある。

 箸墓古墳の名はこれらのハシ以外に考えられないが、

 この名の由来を訊ねられた物知りが、

 地元の伝承「大三輪伝説」と結びつけて、

 自殺の道具に箸を使ったから「ハシバカ」という名がついたのだ。

 とコジつけたものが、

 百襲姫=卑弥呼の自殺を説明する定説だということになり、

 百襲姫の墓と盲信された。

 しかし箸墓は前方後円墳だから

 直径ではなく縦はいくら、横はいくらと書く必要があるのに、

 卑弥呼の墓は「径百余歩」とあるから円墳だ。

 箸墓はその前方後円の姿で、

 仁徳大仙陵に始まる4~5世紀古墳群の一つだと告白している。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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