2016年6月12日日曜日

《八潮市立資料館:藤波邸の「牛角兜」》③

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1237~1251頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《八潮市立資料館:藤波邸の「牛角兜」》

  「ホンマ」「エチ」「エビナ」は、

 この氏族の来歴を明らかにする。

 「エチ」は奈良県天理市庵治町と同祖である。

 「庵治」名については

 第4章 カルト人の移動 「ゲルマン」で

 『史記』に記載されている中央アジアの

 「西北二千里」に居住しているとされる

 「庵蔡(アラン)」との関係を言及しておいたが、

 その同種族名である。

 彼らはゲルマンである。

 ドイツに入った彼らは

 Essenという鉄の都市を築いている。

 この庵蔡の一部は中央アジアを南下する。

 インドのサンスクリットの資料に śaka 族と表記され、

 漢(唐)音で「塞」と表記されている人々である。

 南下したかれらは、まずペルシャ湾の地に定着し、

 そこをサカスターナ(Sacastana)と言ったが、

 さらに南下し、

 紀元前2世紀にはインダス河河口から、

 アヴァンティ、サンチーまでの広い地域に

 漢名塞王朝を形成した。

 その名称 Sacae は

 ペルシャ語では Shākh で「角」を意味する。

 「ゲルマン」はシュメル語の 

 galm-am(階段-野牛)に起源があり、

 「牛角」の意味との見解を述べたが、

 ペルシャでは、彼等を

 「角族(shakh・角-e・人、族)」と称したのである。

 この塞王朝には

 アレキサンダー大王に率いられて東征した

 ギリシャ人の築いたバクトリア国の末裔も含まれ、

 そこで主に使用された言語は

 ギリシャ語であったらしい、

 彼らは共に大月氏のクシャン王朝に

 圧迫され続けたのであるが、

 インド亜大陸にグプタ王朝が強力になるにつれ、

 滅亡していった。

 圧迫された塞族の一部は細長い船、

 つまり軍船によって航海に出、

 東アジアヘやって来たとみられる。

 沖縄の古名は「阿児奈波」であるが、

 これがギリシャ語の
 
 αγο-ναν(軍船)の音写である。

 「オキナワ」も

 ωγν-ναν(早い船)で軍船を表わす。

 石垣島に平得(ひらえ)という地区がある。

 ギリシャ語の Ηεραιτος の転訛で

 鍛治神の名である。

 ここでインドネシアのセレベス島や

 フィリピンのミンダナオ島から持って来た

 赤目(褐鉄鉱)、黒目(磁鉄鉱)を用いて

 鉄製武器を鍛えたのである。

 琉球も沖縄の古名であるが、

 これもギリシャ語の

 λενκς(白い、明るい、輝く)に依る名称である。

 ラテン語の iucus、lux、

 英語の light と同根語である。

 沖縄本島初め、勢理客(セリカ)など

 絹に係わる地名が散在することを

 第10章 天毒とセリカの「セリカ名の由来と遺称」

 で述べたが、ここに

 ギリシャ語で「白い」と言われる土地があっても

 おかしくない。

 繭は白い球である。

 「まゆ」はヘブライ語の「白」が原語である。

 しかも、琉球の「球」は「玉」であるから、

 その名も「白い玉」は繭玉を表わしている。

 中世になってもポルトガルなどでの西欧語国では

 台湾を含めた琉球を Gores と呼んだ。

 「ゴロス」は「ふくろう」のことである。

 日本ではこれを「五郎助」という。

 その祖語はギリシャ語の glaukos (輝く)で

 アテネ女神の尊称であった。

 ふくろう(γλανξ)はアテネ女神の象徴で

 ギリシャの軍艦の舳先にはこのふくろうの像が

 船の守護神として据えつけられた。

 戦いの神でもあったアテネ女神は

 常に兜を冠した姿で表される。

 ローマ人は glaukos により Greek という名称を

 作り出し、西欧で Greece といい、

 日本語でギリシャと言うことになっているのである。

 Gores(琉球)は

 結局ギリシャを意味していることになる。

 そればかりではない。

 ヘレニズムの国バクトリアを治めた主たる家系は
 
 イオニア出身の

 オーティデーモス家の系譜の者であったが、

 その奉祭神がアテネ女神で、

 数多く鋳造された金貨などの貨幣には

 ふくろうの姿が鋳込まれている。

 サカ族とギリシャ計のバクトリア人は共同して

 軍船を押し立てて東アジアへやって来たのである。

 それらの軍船を「天磐船」という。

 それ以外のインドの商人が用いた船は

 交易船「円船」で速度は遅いが

 物品を大量に載せられるもので

 「タル(tari)」といった。

 「角族」はギリシャ人から、

 大量にして良質の鉄を生産する技術を入手する。

 それが多々羅である。
 
 「タタラ」はギリシャ語の

 「熱くする、熱して軟らかにする」の意味である

 θαλπω の完了形 τεθαλμαι 

 を祖語とするものであり、

 「熱して軟らかにされたもの」の字義である。

 ギリシャのアテネの北方の地方 

  Thettalia(Thessalia) はこの用語に由来する。

 ここは磁鉄鉱の産地でもある。


 マケドニアにアレキサンダー大王の頃、

 テルメ湾の元となった therma 市があったが、

 θεργμα は「熱」を表す。

 その市名は現在

  Thettaloniki(Thessaloniki) となっていて、

 マケドニアが

 製鉄技術を持っていたことを示している。

 この市名は『新約聖書』の

 「テサロニケ人Thessalonians」 である。

 パウロが二つの手紙を宛てた教会の地名で

 第1章7に「マケドニアとアカヤ」があることから

 その所在が明らかでる。

 その効率の良いタタラ技術を生かしたのが

 天穂日命一族である。

 「穂日」はヨーロッパ語圏の「角」を表わす

 horn(英語) 、Horn(ドイツ語) で

 出雲国造家の「千家(せんけ)」名はそれを

 サンスクリット語 sṛnga(パーリ語singa) 

 で表現したものである。

 第14章の「守屋谷と神代神社」で

 角を奉祭する人々が重なっていると述べたのは

 この事情による。

 タタラの効果は大きく、

 イスラエル人の聖地安来は

 現在「鋼(はがね)のヤスキ」として世界の金属業界に
 
 広く知られている。
 

 

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